「忠実で思慮深い奴隷」と「見える地上の組織」という二つの神学概念を捨てよう

 キリスト教の派の中で、ものみの塔協会だけが主張する独特の教理に「忠実で思慮深い奴隷」と「見える地上の組織」という神学概念があります。

 最初に言っておくと「忠実で思慮深い奴隷」という言葉は、聖書にたった一度だけ登場し、イエスのたくさんのたとえ話の中の一つのお話です。

 ですから、自然に読むと「忠実で思慮深い奴隷」という単語は、特定のグループではなくて、神に忠実であったクリスチャンを指し示しています。これが統治体を指すと解釈する統治体の見解は根本的に間違っています。統治他は「奇妙な教え」を信望し続けてきたので、回りにいる兄弟・姉妹がきちんと指摘してあげないといけません。

 また「見える地上の組織」という言葉は、聖書には一回も登場しません。ものみの塔協会は「見える地上の組織」という言葉で、ものみの塔協会を指し示そうとします。

「忠実で思慮深い奴隷=統治体」「見える地上の組織=ものみの塔協会」

 「見える地上の組織」という言葉は長いので、普段の会話やものみの塔紙ででてくるときは、「組織」という言葉になります。

 「組織に従いなさい」や「組織に感謝します」は「ものみの塔協会に従いなさい」「ものみの塔協会に感謝します」という意味です。

 また「忠実で思慮深い奴隷に従いなさい」や「忠実で思慮深い奴隷に感謝します」は「統治体に従いなさい」「統治体に感謝します」という意味です。

 統治体とものみの塔協会の悪い癖は、エホバの横に並んで、賛美と栄光を受けたがることです。また、エホバの主権やエホバがイエスに与えられた経路を主張したがることです。

統治体とものみの塔協会を、少しづつ、神のように見せていく

 統治体とものみの塔協会は、賢いので、「統治体は神だ」とか「ものみの塔協会は神だ」とは、直接的には決して言いません。そんなことを言うとすぐに指摘されてしまいます。

 ですから、ばれにくい方法で、少しづつ、ゆっくりと、統治体とものみの塔協会へ崇拝を傾けさせるための方法を使います。

 「神の方法」「神の取り決め」「神の備え」「神からの教育」「神からの霊的食物」「神から与えられた特権」という言葉を、エホバの証人であれば、聞いた事がある言葉だと思います。

 でも実際これらは「統治体の方法」「統治体の取り決め」「統治体の備え」「統治体からの教育」「統治体からの霊的食物」「統治体から与えられた特権」です。つまり、すべて人間が作ったものです。

 また「ものみの塔協会の方法」「ものみの塔協会の取り決め」「ものみの塔協会の備え」「ものみの塔協会からの教育」「ものみの塔協会からの霊的食物」「ものみの塔協会から与えられた特権」です。つまり、すべて人間の組織が作ったものです。

 それなのに、「神からのなになに」という言葉を使うことによって、統治体とものみの塔協会を、間接的に神として示そうとします。

 ぜひ兄弟・姉妹たち、統治体のこのような手法に注意してください。

長老への手紙はどこから届くか

 長老には手紙が届きますが、その中には、統治体という言葉やものみの塔協会という言葉はでてきません。エホバの証人の皆さん、長老への手紙はどこからくるか知っていますか。

 「えっ、ものみの塔協会からではないの」と思うかもしれませんが、ものみの塔協会からではないです。送り主は「エホバの証人のクリスチャン会衆(Christian Congregation of Jehovah’s Witnesses)」という、ものみの塔協会ではない、宗教法人からきます。

 そして手紙の中では、統治体やものみの塔協会という言葉は、使われずに「忠実で思慮深い奴隷」や「組織」という言葉が変わりに使われます。

 長老の頭の中では「忠実で思慮深い奴隷=統治体」「組織=ものみの塔協会」ということは自明なのですが、文書は形として残るために、外部から見たときに、統治体やものみの塔協会が指示を出しているという印象を与えたくないのです。

 統治体やものみの塔協会は、ずるい方法で長老に手紙を宛てています。

長老や巡回監督になれば、統治体とものみの塔協会のマニュアルは、聖書の権威より上になる

 長老や巡回監督になると、統治体のマニュアルは、聖書の権威をより上になります。自分の信仰を曲げてでも、統治体のマニュアルを固守しなければなりません。これを固守しなければ、長老から下ろされます。固守できると観察される人だけが、長老になることができます。

 統治体からの手紙と長老の教科書という「裏の聖書」は、神の言葉である本物の聖書の権威を越えてしまっています。

「忠実で思慮深い奴隷」と「見える地上の組織」という二つの神学概念を捨てよう

 「忠実で思慮深い奴隷」と「見える地上の組織」という二つの神学概念を早く捨てちゃいましょうと提案したいと思います。こういう神学概念を高めるのではなくて、エホバのお名前だけが、高く上がるほうがよいと思います。

 エホバのお名前が高く掲げられて、クリスチャンの兄弟・姉妹が肩を並べて奉仕するのがよいと思います。統治体やものみの塔協会が、神の権威を越えたり、聖書の権威を越えた文書を作成することを、許してはいけないです。時間はかかるかもしれませんが、辛抱強く説得していきましょう。