年代計算。607年、1914年、1919年。

 ものみの塔協会の歴史を見ると、ものみの塔協会は、年代計算という分野に、精力的に励んでいたことがわかります。聖書を調べて、意味のある年代を割り出そうという努力が強く払われていたことがわかります。

 100年以上たってわかってきたことは、年代計算が当たったことはないということです。実際に起こることと年代の両方を当てることは、今の今までまったく成功していません。

 ですから、僕たちがそろそろ気づかないといけないことは、年代計算には何の価値もないということです。反対に、年代計算を行うということは、神の言葉に従えば、やってはいけないことのように思えます。

「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。
(マタイによる書 24章36節)

 イエスは、日と時刻についてはわからないといっておられるのですから、わからないと認めたほうがいいと思います。

[イエス]は言われた,「惑わされないように気を付けなさい。多くの者がわたしの名によってやって来て,『わたしがそれだ』とか,『その時が近づいた』とか言うからです。
(新世界訳聖書 ルカによる書 21章8節)

 また「その時が近づいた」という人は、イエスからみれば、クリスチャンというよりも、惑わす者です。イエスは、「いつ来ても迎えられるように準備をしていなさい」といったのであって、年代計算をしなさいとは言っていないのです。

 ではここで考えてみてください、年代計算が意味のないものだとすれば、過去に行われた年代計算も意味のないものではないでしょうか。

 過去にはもっと多くの年代計算があったのですが、現在では607年と1914年と1919年の三つだけが残っています。また607年というのは、1914年から7つの時を引き算して求めた年です(決して607年から7つの時を足し算して求めた数字ではない!)し、1919年は1914年から足し算して求めた年ですので、1914年だけを取り除くことができれば、目標達成となります。

 よく1914年を、第一次世界大戦と結び付けますが、これはこじつけです。第一次世界大戦が始まったのは1914年ですが、その年の前から、世界規模のデフレーションが発生しており、経済不況が世界中を駆け巡っています。ですから、歴史の流れにおいて、あるひとつの年に意味を持たせるということは、まったく意味のないことです。

 どうして統治体は1914年にこだわるのでしょうか。それは、1919年に忠実で思慮深い奴隷を、エホバが任命したという教理を維持したいからです。1919年がなければ、統治体の権威の正当性がまったくなくなるので、それを恐れています。

 1914年は、もうそろそろ取り除いてもいいんじゃないかと思います。エホバの証人の兄弟・姉妹にとっては、ほとんど意味のない年です。

 1914年が取り除かれると、終わりの日の始まりはイエスが地上にこられた時期に、イエスが王として統治するのは将来に移動してしまいますが、それで何も問題はないのではないでしょうか。