悪を見ない振りをし続けたら、エホバは決して顧みてはくださらない

 「エホバを待ちましょう。」それが、現在の兄弟・姉妹たちの顕著な態度になってきている気がします。

 でも、皆さん方は、このエゼキエルの聖句を良く知っているのではないでしょうか。もう一度みてください。

 「人の子よ,わたしはあなたをイスラエルの家に対する見張りの者とした。あなたはわたしの口から言葉を聞き,わたしから彼らに警告しなければならない。わたしが邪悪な者に向かって,『あなたは必ず死ぬ』と言うとき,あなたが彼を生き長らえさせるために実際に彼に警告し,話し,邪悪な者をその邪悪な道から離れるよう警告しないなら,その者は邪悪な者であるので,そのとがのうちに死ぬ。

 しかしわたしは彼の血の返済をあなたの手に求めるであろう。 一方,あなたが邪悪な者に警告したのに,彼がその邪悪と邪悪な道から実際に立ち返らないなら,彼はそのとがのために死ぬ。しかしあなたは,自分の魂を救い出したことになる。

 また,義なる者がその義を離れて,実際に不正を行ない,わたしが彼の前につまずきのもとを置かなければならないときには,その者はあなたがこれに警告しなかったために死ぬであろう。自分の罪のために彼は死に,彼が行なった義の行ないは思い出されない。しかしわたしは彼の血の返済をあなたの手に求めるであろう。

 そして,あなたが義なる者に,その義なる者が罪をおかしてはならないと警告して,彼が実際に罪をおかさないなら,彼は警告を受けたために必ず生きつづけ,あなたは自分の魂を救い出したことになる」。
(エゼキエル 3:17-21)

 この聖句は、エホバの証人の社会においては、宣教をするときに、その言葉を語ったので、自分は責任を果たしたので、血の罪を負わないというときに使われます。開拓者であれば良く知る聖句でしょう。

 けれども、この聖句の本当の意味は、義ではないことを知りながら、それについて、指摘しなかったときに、その者は死に、その血の返済をあなたに求めるということです。

 言い換えるならば、悪を目にし、悪について聞きながら、それについて、指摘しなかったならば、エホバは、その返済を、あなたに求めるということです。

 兄弟・姉妹たち、みなさんはいつまで、意固地であり続けるのですか。述べ伝えているのが、救いなのであれば、ものみの塔協会が、悪を行うときに、それを指摘するのが、救いの道ではないのですか。それが、エホバに対するわたしたちの責任なのではありませんか。

 みなさんは、組織の元にいれば安全だと、そう信じていますね。けれども、本当は、エホバのもとに避難することこそが、安全な道なのではありませんか。

 良くない実を生み出し続けるならば、その木は取り去られます。組織は、決して安全なものではなくって、悪い実を生み出し続けるならば、エホバは、それを切り取り、火の中に放り込まれます。そのことを知ってください。

主権者なる主エホバはこのように言われた。「いまわたしはあなたに向かって火を燃え上がらせる。それは,あなたの中でなお湿り気のあるすべての木と,乾いたすべての木とを必ずむさぼり食う。燃え上がる炎は消されることなく,それによって南から北まですべての顔は必ず焦がされる。そしてすべての肉なる者は,わたしが,エホバがそれに火を燃え立たせたので,それが消されることのないことを必ず見るであろう」』」。
(エゼキエル 20:47-48)

 兄弟・姉妹たち、どうか謙遜になって、悔い改めて、悪を指摘し、自らにエホバからの火が及ばないようにしてください。その火は、永遠に焼き尽くす火でもあるのです。