記念式が変わる予兆?

 ヒツジ姉妹のブログを呼んでいたら、JW Broadcastingで、こんな場面があったそうだ。

中国で投獄されたハロルド・キング兄弟のインタビュー スパイがいた。聖書レッスン生だった。

独房はコンクリートの床、南京虫ウジャウジャ、一つ一つの部屋で証言し再訪問し研究する(仮想)。妥協すればいいんだ。エホバを裏切れない。

記念式を行なう(仮想)。月を見させてください。エホバが月を磨き上げたかのような。話をした。パンの祈り、ひとかけら食べた。ぶどう酒の祈り、一口飲む。

信仰の歌を歌う。気持ちが前向きになった。
(迫害に負けない|母様へ 再び会える日まで)

 下線部に注目すると、どうやら研究生が、仮想的な記念式を行って、パンを、ひとくち食べ、ぶどう酒をひとくち飲んだ場面が記述されています。

 ものみの塔協会は、教義を変更するときに、直接的には書かずに、小出しにして、エホバの証人を慣れされるという手法をとっていますから、この記述は、記念式が変わる予兆なのかもしれません。

 普通に考えて、いままでのエホバの証人の習慣においては、研究生が表象物に預かるという行為はふさわしくないことでしょう。ふさわしくないことを、記事にわざわざのせるということも考えられないです。

 ということは、協会は、小出しにして、記念式の方法を、現在のものとは変えようとしているのかもしれませんね。

 僕が記念式で、パンとぶどう酒を食べたときは、ずいぶんと驚きと奇異の目で見られましたが、僕が、普通人になれる日も近いのかもしれません。