わたしは義人たちではなく,罪人たちを招くために来たのです

 イエスは、人々と飲んだり食べたりするのが好きでした。弟子たちだけの食事だけではなくて、まだ信仰を持っていない人たちとの食事の機会も持つようにしていました。今でいうと、神の言葉を伝えるために、エホバの証人ではない人たちとの食事の機会も持つようにしていたということですね。

 イエスには排他的な傾向はありません。自分自身は罪を犯しませんが、罪人と呼ばれている人たちや差別されている人たちとは接触を持ち、食事を共にしています。

 義に過ぎるパリサイ人はこれを見てつぶやきます。「あいつは罪人と食事をしているのか」というふうに。イエスを「罪人たちの友」といい嘲笑します。またイエスを危険視して、殺す機会をうかがいます。

 しかしイエスは毅然としています。そしてこう答えます。

「丈夫な人に医者は必要でなく,病気の人に[必要]なのです。わたしは,義人たちではなく,罪人たちを招くために来たのです」。
(新世界訳聖書 マルコ2章17節)

 そうです、イエスは弟子たちとだけに限定して食事をするということはありませんでした。罪びとや収税人とも食事をしました。イエスの行為は、パリサイ人の目からみれば汚れたことでしたが、神の目から見れば清いことでした。

 自問してみましょう。僕たちはパリサイ人の視点を持っていますか、それともエホバ神の視点を持っていますか。長老たち、巡回監督、みなさんは、どちらの視点を持っていますか。どちらのほうが優れた視点、神の知恵でしょうか。