幸せってなんだろう
「幸せ」って何だろう。人々は、幸せを求めているけれど、そもそも幸せであるということはどういうことなんでしょう。
お金があると幸せなのかな。
世の中の標準以上を達成していれば幸せなのかな。
よい学歴を得て、よい就職ができれば幸せなのかな。
高収入の旦那さんと結婚できれば、美人の奥さんと結婚できれば幸せなのかな。
でも、全員がこれを目指したら、みんなが不幸になるんじゃないだろうか。だって、それは、奪い合いだから。比較しあいだから。
じゃぁ、比較をしあわない幸せの形ってあるんだろうか。奪い合わない幸せの形ってあるんだろうか。そんな答えを知りたくないですか。
比較しあわないってどういうこと、奪い合わないってどういうこと。
それは、簡単にいうと
正しいことを守り行う
ということです。
でも、こんな声が聞こえてきそう。「はぁ、何いってんの、意味わかんない。いったいそれのどこが幸せなの?」「正しいことって何?」「それを守るってどういうこと?」
考えてみてください。僕たちは、食料に飢えていません。毎日、食べ物が食べられる。飢えで苦しむことはない。雨の当たらない屋根のある家で住むこともできている。治安もよい。生活を工夫すれば、毎月3万円の貯金だってできる。
でも、幸福感がない。なんで?
これといった、幸福感がない。どうして? こんなに満たされているのに。
心の充実が大切
とよく、テレビや新聞で評論家はいいますね。
でも、それって具体的には、何なんでしょう。趣味に生きるということなのか? 自分と同じ趣味を持つ人と集まるということなのか?
標語だけはあるけれど、中身は空っぽなんです。
さて、ここで、キリストが語った幸福についての言葉をひとつ紹介します。
マリアというのは、イエスのお母さんですが、周囲の人たちは、イエスのお母さんのことを幸福だっていったんです。
それは、イエスという子供を、乳を飲ませて育てたからです。
イエスのお母さんということで、その立派な立場があるので、幸福だっていったんです。
これは、周囲と比べて勝っているということで、幸福といったんです。
でも、イエスは、こういいます。
なんていったと思います。こういいました。ルカという書の11章7節です。
いいえ,むしろ,神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!
この言葉の意味がわかるでしょうか? たぶんよくわからないのではないでしょうか。
でもこれは、幸福についての、核心をつく言葉なんです。
幸せとは、「欲望を果たす」ことなんかじゃなく、「神の言葉を守り行うこと」
もっと詳しく知りたくありませんか。続きます。