悪霊は「おばけ」や「妖怪」じゃなく、悪い考えのこと
ヘブライ語聖書には、悪霊という考え方はでてこない
まず最初に、ヘブライ語聖書には、悪霊という考え方はでてきません。
新世界訳聖書では、ヘブライ語聖書に、「悪霊」という言葉はでてきます。でもこれは、実は、悪霊ではないんです。
そこで[ヤラベアム]は自分のために高き所と,やぎの形をした悪霊,および彼が造った子牛のために祭司たちを職に任じた。
(歴代第二11:15)
訳には、複数の可能性があります。
それで,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳とラテン語ウルガタ訳の翻訳者たちは,このヘブライ語を「無意味なもの」(七十訳)また「悪霊たち」(ウル訳)と訳しました。現代の翻訳者たちや辞書編集者たちは一般に,これら二つの聖句で同じ見方を取り入れ,「悪霊たち」(ロザハム),「サテュロスたち」(改標,聖ア,エルサレム,ユダヤ),「やぎの形をした悪霊」(新世。ケーラーおよびバウムガルトナーの「旧約聖書辞典」,ライデン,1958年,926ページ,および「旧約聖書ヘブライ語‐英語辞典」,ブラウン,ドライバー,ブリッグズ共編,1980年,972ページも参照。)例外は,この語を字義通り「やぎ(たち)」と訳しているロバート・ヤングの訳と,「雄やぎ」という語を用いているアメリカ標準訳です。
ものみの塔オンライン・ライブラリ
http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200001727
歴代第二11:15は、単に「やぎや子牛の像を崇拝していた」という意味なのかもしれません。
少なくとも、エホバの証人が想像する、サタンの手下で、堕落した天使という意味はぜんぜんありません。
ギリシャ語聖書では「悪い考え」「悪い思い」という意味で使われている
ギリシャ語聖書では、「悪霊」は「悪い考え」「悪い思い」という意味で使われています。そこに、心霊的な意味は、ないのではないかと思います。
夕方になり,日が沈んでから,人々は病んでいる者や悪霊に取りつかれた者をみな彼のもとに連れて来るようになった。それで,全市がまさに戸口のところに集まった。そこで[イエス]はさまざまな病気を病む大勢の人を治し,多くの悪霊を追い出したが,悪霊たちには語らせようとされなかった。彼らは[イエス]がキリストであることを知っていたからである。
(マルコ 1:32-33)
ひとめみると、この箇所は、心霊的な存在をイエスは、追い出したととらえてしまうと思います。でも、悪霊という意味を「悪い考え」としても、意味は通るんです。
悪い考えが入り込んで、精神的な病に陥っている、そういう風に考えることができます。そして、イエスは、悪い考えを追い出すことができた。
聖書は、オカルトなのでしょうか。それとも、真実の書なのでしょうか。オカルトの書としても読むことができます。でも、真実の書としても読むことができます。