人間の歴史には始まりがある

 聖書は創世記と呼ばれる物語から始まります。神が宇宙と地球を創造して、植物を創造され、動物や鳥や魚を創造され、人間を創造するという記述があります。

 わたしたちは普通、人間は他の動物から進化したのだと、学校の教科書で学習します。他の動物の一員であり、たまたま言葉を話すして、直立二足歩行をするようになったという風に学びます。

 しかし人間の歴史を記述した聖書と呼ばれる書物にはどのように書かれているでしょうか。

それからエホバ神は地面の塵で人を形造り、その鼻腔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。
(新世界訳聖書 創世記2章7節)

 神は人間を地面の塵を元にして作られ、命を吹き込んだと書かれています。これが最初の人間の誕生の歴史です。

 聖書を学んでみると、人間の歴史には始まりがあったということを発見して驚く人もいます。そして始まりがあり、それを造られたのが神であるならば、造った目的もあるということになります。

 わたしたちは生きる目的について考えるということがよくあります。なんのために生きているのだろうかと考えたり、自分の人生には意味があるのだろうかと考えたりします。

 もし人間の歴史に始まりがなければ、人間が生きることには何の意味もないことになります。ただ周囲の動物に生存競争で打ち勝って、繁栄しているというだけになります。人を思いやることのできる優しい感情も、悲しんだり喜んだりする感情も、進化論によれば、すべて生存競争に生き抜くための手段であるということになります。

 そのようなことが考えられるでしょうか。

 聖書を読むと、人間の歴史には始まりがあり、そこには目的もあったということを学ぶことができます。私たちが生きている意味について吟味する機会が得られます。