会衆はもともとは独立した運営だった
皆さんは、ご存じないかもしれませんが、エホバの証人の会衆というのは、もともと独立した運営でした。これが、過去のエホバの証人の姿です。それに対して、権力を持ちだした、ものみの塔協会が、巡回監督を中央から派遣するようになって、中央集権体制ができあがってきたと僕は推測しています。
ものみの塔協会の一部の力を握ったクリスチャンが、他の会衆に巡回監督を送って、中央集権体制を強化してきました。つまり、中央集権体制の強化と巡回監督というのは、ひとつのセットになっているということです。
これはなぜ可能かといえば、ものみの塔協会が、多くの資産(金とものと人)を持っていて、自由に利用することができているからです。よいクリスチャン関係を築くためには、ものみの塔協会には資産を減らしてもらって、他の会衆と横に並んで、父エホバとみ子イエス・キリストに仕えてもらう必要があります。
現在のエホバの証人は、ものみの塔協会というひとつの団体が、エホバの証人の上に君臨する体制になっています。
でもこれって、本来のイエスが教えた人間関係とはずいぶん異なるとは思いませんか。よく考えてみてほしいです。イエスは「少数の人を用いてパンを配りなさい」なんていっていないです。それは、こじつけの解釈なので、信じないようにしてくださいね。
イエスが、実際にいった言葉はこれです。まったく反対なんです。よく見てください。
あなた方はわたしを,『師』,また『主』と呼びます。そう言うのは正しいことです。わたしはそのような者だからです。それで,わたしが,主また師でありながらあなた方の足を洗ったのであれば,あなた方も互いに足を洗い合うべきです。わたしはあなた方のために模範を示しました。
(ヨハネ 13:13-15)
イエスはなんといっていますか。「あなた方も互いに足を洗い合うべきです。」といっていますね。一方が足を洗うのではなくって、互いに足を洗いあう。つまり、互いに仕えあうべきですといっていますよ。
上下関係や支配関係ではなくって、相互に親切を行う関係が大切なんです。イエスが、こんなことをいっていたことを知っていましたか。知っていても、考えないならば、頭の中を素通りしていってしまいますよ。
権威を持っている人がひとこと言うだけで、たとえ間違ったことをいったとしても、そちらを信じてしまうことになりますよ。だから、ぜひイエスの言葉をよく考えてみてくださいね。