紙の聖書と、レジュメ的なものだけでいい

 協会は、今、方針として、ビデオ作成に、全力を注いでいる。会衆のオーディオ機器を購入させたり、大会用の巨大なディスプレイを購入したり、ミュージックビデオ、アニメ、映画などを外注で製作したりということに、お金をたくさん費やしている。

 そして、一方では、費用削減のために王国会館を減らしている。僕は、思うけれど、近くに集まれる場所があって、紙の聖書が1冊あって、勉強するために、A4のコピー一枚のレジュメを配って、それくらいでいいんじゃないかと思う。

 僕としては、やっぱり、シンプルなエホバの証人が懐かしい。jw.orgの巨大なロゴが王国会館になかった時代、ディスプレイがなかった時代、タブレットであふれかえっていなかった時代。

 ある長老は言っていました「エホバの証人は、像とかがなくって、清い感じがした」と。でも今や。巨大なjw.orgのロゴ、そして、左右にディスプレイ、出席者は、ipadを見ながら歌を歌う。

 家に帰れば、テレビがある、仕事にいけばパソコンの前の作業に追われる、そういう場所ではない場所を提供してくれていたのが、集会だったのに、それが、テレビ、ipadが集会の中に入ってきてしまった。これは、残念なことだ。

 今までは、極端ではあるけれど、ある種の美学があったのに、もう今でも、協会が言えばなんでも正しいというふうになってしまった。口にはださないけれど、違和感を持っている兄弟・姉妹もたくさんいることでしょう。

 戻れることならば、聖書が一冊、印刷ができなくなるのならば、集会のテーマを記載したレジュメを1枚配布するという形にすればよいと思う。そして、集まれる場所は、高齢の兄弟・姉妹たちが、通えるようになるべく近い場所で。

 ビデオ製作やオーディオ機器にお金をつぎ込んでも、その他の負担が増えれば何の意味もないですからね。